リプチンスキーの「オーケストラ」を観た。階段を登り続けるシーンの曲にラヴェルのボレロを選んだ、もしくはボレロに階段の映像を選んだ彼を、すごく好きだと思った。
( Zbigniew Zbig Rybczynski, The Orchestra (fragment), Bolero (stairway to ... )
幼い頃、「何故階段を登ると高いところへ行けるのだろう」と疑問に思ったことがある。それはすごく単純な行為で、気に留めなければ不思議に感じるまでもないが、だからこそ解らなくて気持ちが悪かった。右足を1段目に載せた瞬間、自分は何段目に居ると言えるのか。そしてさらにその次の瞬間、左足はすでに2段目に掛かっているのである。
考えてみれば簡単なことだった。右足を少し高いレベルに掛け、追うように左足をそのレベルに載せれば、わたしは1段登ることができる。階段を登る行為においては、単純に、この流れの中で同じ段に両足を揃えることが省かれているだけである。行為が連続することで自分の身体の存在がすごく曖昧になっているように感じられて仕方がなかった。
階段がわたしにとって、ある種の特別な時間をもたらすものであること、永遠性のようなメタファーをもっているように感じる所以は、ここにもあるような気がしている。
I'm interested in …
・Zbigniew Rybczyński 1949- / Poland
The ORCHESTRA
TANGO
・Dani Karavan 1930- / Tel Aviv
Passages - Homage to Walter Benjamin
・Susan Clusener ? / ?
Spiral Pearcase
Stair Pear